
2016年7月27日 東京都大会決勝 11回裏最終回 最終マウンド
1アウトから内野安打をくらい、走者1塁に。一発があれば同点のピンチ。
ピッチャーが投げたそのボールは、バッターがヒットし三遊間に跳ね返る。
そして、待ち受けていたショートのグラブにタイミングよく収まったそのボールは、彼ら八学生が甲子園に行くため、二塁手のグラブを経由し一塁手のグラブに。
それは、東京の西の端 八王子にもたらされた、新しい門出の瞬間でした。
八王子学園 八王子高校野球部へ取材にお伺いしました
10月初秋の昼下がり、上記の今夏、初の甲子園出場を決めた野球部員達の取材で、八王子学園八王子高校(以下、愛称:八学で表記します。)にお邪魔してきました。
八学には、JR西八王子駅から東に5分程度歩くとすぐに到着します。校舎を見ると明るく、学習環境にも恵まれていることがうかがえます。
事前に頂いた冊子:「ありんこ軍団」悲願の甲子園!(発行 八王子学園八王子高等学校)によると、1947年の創部以来初の出場とのこと。そう、八学という”点”でみると我が校、創部以来初!!となるのですが、今夏はそれだけではありませんでした。
東京という”面”に拡大させても、西の端、八王子の名が頂点に立つのは初!!そして、甲子園という全国区、日本という”面”に拡大させても、この地域の名称:八王子の名を轟かせるのは、初めてのことでした。
八学生である彼らの甲子園出場は、約58万の八王子市民の全国区での活躍というファイティングスピリッツを掻き立ててくれ、また一人の青少年であった頃の、遠い青春の揺るぎなさを思い出させてくれました…。(当社比)
そんな活躍をした彼らと、どんな話ができるのかとワクワクしていた我々。そんな我々を出迎えてくれたのは、総勢74名のうち5名の引退した3年生の皆さんでした。
写真右から、
・キャプテン:川越 龍(かわごえ りょう) 守備:一塁手 出身:東京都町田市
・副キャプテン:佐藤 天寅(さとう ていん) 守備:内・外野手 出身:東京都八王子市
・竹中 裕貴(たけなか ひろき) 守備:遊撃手 出身:神奈川県海老名市
・椎原 崚(しいはら りょう) 守備:中堅手 出身:東京都昭島市
・細野 悠(ほその ゆう) 守備:捕手 出身:東京都小平市
滑舌のよい、はっきり伝わる挨拶をされました。屈託のない、はにかんだ笑顔で挨拶をする彼らの、何処に大会を勝ち抜いていく勝負強さがあるのか。見てみたいと感じました。しばし緊張する彼らを前に、Team西八メンバーが経営するお店についてや取材の流れなどを説明してから、早速取材を開始。以下のQ&A方式でお楽しみください…。
八王子高校野球部3年生へ取材開始
Q.アリンコ軍団について
いつから呼ばれ始めましたか?
「昔から伝統的に呼ばれていました。」
誰が名づけましたか?
「池添先生です。」
それに対して部員たちはどう思っていますか?
「意識してやっています。力がないので団結してやっていこうという気持ちです。」
その答えに対して、いい言葉ですね。と、八王子旬香そめいの市川さんが一言。
小池百合子都知事が選挙の八王子の街頭演説で「ユリンコ軍団」で頑張ると言っていたのは知っていますか?
「知らなかったです。」(一同)
小池百合子都知事の気の利いた戦略も、まだ政治に関心がない彼らの前に粉砕…。
Q.入学前の心境と今について
入学前の八王子学園の印象はどうでしたか?入学当初、甲子園に行けるイメージは持っていましたか?
「一つ上の兄が野球だったのでよく話を聞いていました。甲子園を狙えるチームだと聞いていたので。兄のチームは都大会ベスト8まで勝ち進んでいて、その時負けた相手は早稲田実業高校でした。兄には早稲田実業に勝ってほしいと言われていました。こうした形で兄の願いも叶えてあげられ、兄も喜んでいました。」と、答えてくれたのはキャプテン川越くん。
甲子園に行くことは小さい頃からの夢でしたか?
「はい、夢でした。」
今後の野球に関しての夢は?
「大学で野球を続けます。」「野球ではなく、大学で経済学の勉強をしたいです。」
後輩への思いはなにかありますか?
「自分達の目標が甲子園で一勝することでした。目標達成が叶わなかったので、後輩達には甲子園一勝の目標を達成してほしいです。」
Q.都大会の事
都大会での一番の思い出は?決勝で勝った瞬間の思いは?
「決勝で東海大菅生に勝って、みんなでマウンドに集まったのが印象的でした。嬉し泣きをしたというのが初めての経験だったので。」と答えてくれたのは、椎原くん。
大会期間が長くなったと思いますが、そんな中気をつけていた事は?
「暑いので、体重を落とさないようにしました。」「良く寝ること。」「クーラーに長時間当たらないこと。」
「大会期間中は試合の前日から合宿所に宿泊して試合に入るので、その時にはマネージャーの栄養指導の下食事をとっていました。」と答えてくれたのは、竹中くんと副キャプテン佐藤くん。
Q.甲子園の砂について
砂は今どこにありますか?
「家にあります。」
どのくらいもってきましたか?
「結構たくさん、1キロくらい持ってきました。取る場所は決まっていて、ベンチの前の芝の手前を掘ります。一人当たり、スパイクケース半分くらい持ってきたと思います。」と答えてくれたのは、細野くん。
近所に配りましたか?(笑)
「友達にお土産で配りました。先輩にも…。」
今回ご同行くださいました、八王子の情報発信源のタウンニュースさんの小川さん!!一緒に砂についてなどインタビューしてくださいました!
西八王子でよく行くお店は?
「テスト期間中などに、海友さんによくラーメンを食べに行きます。辛い海友ラーメンを食べます。おいしいです。」
これ、わざわざ言うことではないかもしれませんが、やらせじゃなく本当にこう答えてくれました。
髪の毛はずっと坊主ですか?引退してから伸ばしたのですか?
「ずっと坊主でした。今生涯で一番ロングです。」
野球部あるあるですね。甘酸っぱい青春グラフィティ。
Q.最後に
今回の八王子ナインは、甲子園に八王子という名を現した初のメンバーであります。そのことについてどんな気持ちを抱いていますか。
〇「初(八王子としての甲子園)というのは自分にとってはおまけです。初めてのメンバーっていうのについてはとてもよく、その中でキャプテンをやらせてもらえて、八王子の歴史に自分の名前を刻めたのはすごくうれしかったです。」(川越くん)
〇「甲子園出場が小さい頃からの夢だったので、出られてうれしかった。八王子として初というのも、歴史に名を刻めてうれしかったです。」(竹中くん)
〇 「秋の大会ブロック予選初戦で敗退した時に、史上最弱の代と言われました。ブロック予選で負けたのが初めてでした。安藤先生が、自分達の代で初めて甲子園に行こう、と言っていたのが達成できたので、すごくうれしかったです。自分が小学校から見ていた甲子園に、自分たちが映っているのを見ると不思議な感じがしました。」
初のブロック予選初戦敗退から甲子園出場まで、巻き返しが大変だったのでは?
「冬に、技術面でも細かいことを集中的に鍛え直しました。バント等の細かい技術を、大事にしてやってきました。」(佐藤くん)
〇「秋に負けて、その時周りの声も、安藤先生も大変だったので、そういう意味で自分達が勝って恩返しをしたいという想いがあった。夏に全員で初優勝が出来て、安藤先生に恩返しができて皆嬉しかったと思うし、そういう意味でそういう悔しさをみんなで味わっていたので、初優勝できた嬉しさっていうものを、全員で味わえてよかったと思います。」
最悪の負けから甲子園出場までこぎ着けたものを、何だと思いますか。
「秋に負けを経験していて、そこでの悔しさがあって冬を越えてきたので、気持ち的には他のチームより強くなれたと思います。」
秋の負けのくやしさが、自分達を成長させたということですか?
「はい。」(椎原くん)
〇「小さい頃からテレビで甲子園を毎日見ていて、いつかこの舞台でプレーしたいなという想いがあって、今回初優勝出来て、甲子園の土を踏めて本当にうれしかったです。」
ご家族は何か言っていましたか?
「うれしがっていました。」(細野くん)
そして、インタビュー終わりには、海友さんからラーメン券の贈呈シーンもありました。この券は、もう一軒、ゆうなぎさんからも頂戴しています。
それには、レギュラーメンバーの文字も。ラーメンがひっそりと主張していますね…。この時、彼らは会ってから一番うれしそうに、元気にお礼を言って受け取っていました!
正味30分ほどの短い取材時間でしたが、選手達の素直な人柄に信頼を寄せ、彼らの生の声を写し取ることが出来ました。こちらの質問に緊張しながら真面目に答える純朴な姿は、想像している甲子園球児そのもの。
ですが、ここには載せていない一番モテるのは誰?や女の子達から声かかったりするの?といった下世話な質問に答える時。笑顔になりながら、おまえ!とか、こいつだろー!と茶化しながら話をし、お互い顔を合わせてほほ笑む姿は、「彼ら」であるところの、等身大のふつーの高校三年生でした。
「優勝した時に使用していたボールは、監督さんに贈りました。」と言っていた彼ら。インタビュー中にも、何度も監督、先生にと言っていて、指導してもらったことに対する彼らなりの感謝の想いがあることが伝わってきました。そして、それらに私達の心はアラワレました。
取材の最後に全員で記念撮影。
取材させていただいた中で。
2015年 秋の大会ブロック予選、初戦に負けた時、どん底に落ちそうになる本当の口惜しさと、どうしたって見つめざるを得ない己の弱さを経験出来たことが、選手たちを大きく成長させたように思えました。その日、彼らが敗退を通じて感情の苦みを知った時、もしかしたら甲子園への扉が少しだけ開いたのかもしれません。少し開いた扉は、彼らが冬にもう一度基本に立ち返った訓練を積んでいる時に、少しづつその幅を広げていったかもしれません。
野球部史上、一番不利な状況にあったけれど、この代で甲子園に行こう と言った監督とそれを選択し、信じた選手達によって歴史のスウィッチが入ったとしたら、その物語は彼らだけのものでは無いはずだと思いました。
彼らの秋に感じた敗退の苦みは、先輩たちが味わったものでした。彼らが予選を勝ち抜き優勝の錦を飾ることが出来たのは、まぎれもなくここ八王子に練習が出来る大地があったからこそでした。そして何より彼らの頑張りで、約58万の市民また、ここに書ききれないたくさんの人々を、さらなる高みを志す場に連れてくることが出来ました。物語を構成する要素を思い描いてみました。
私達はこの取材において、一つの完成した青春物語の一端をのぞくことが出来た様に思えました。
礎を築いた彼らの先輩と、彼らと、新たなバトンを受け取ったであろう彼らの後輩に、お伝えしたい言葉があります。
太陽の街 八王子に輝かんばかりの夢と希望を、ありがとう。そして、また、連れて行ってね。
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